一願堂

南無一願大和尚(なむいちがんだいわじょう)と唱え、
一人一つだけ願いを祈る。

一願大和尚由来

極樂寺の住職であられた明治中興第二世・佐和隆恵師は、明治44年11月5日、師であり実父でもあった菅梅隆海師より法灯を継承し、極樂寺の住職に就任されました。

極樂寺は数百年の伝統を受け継ぐ古刹(こさつ)ではありますが、長い歴史の中で幾度も荒廃の時期を迎えております。菅梅隆海師の代もまたそのような時期であり、当山復興のために大いにご尽力されました。

佐和隆恵師は、隆海師の志を受け継ぎ、さらに復興に力を注がれました。本堂の修繕や客殿の建立など、現在の極樂寺伽藍の基礎を整備され、昭和5年には極樂寺開創一千二百年記念法要を厳修し、当山の繁栄の礎を築かれました。

その後、昭和32年に病の床に伏された隆恵師は、自ら命の灯が尽きることを悟り、入定の準備に入られました。
生前、四国八十八箇所第三十一番札所・竹林寺の住職を務められた船岡芳信師が、弘法大師に倣い「この地に留まり人々を救済する」との誓願を立て入定されたことに深く感銘を受け、隆恵師もまたその志に倣われました。

五穀(稲・大麦・小麦・大豆・小豆)を断ち、最後は水のみを口にして身を清め、余分な脂肪を落とし体の腐敗を防ぐ修行の末、昭和33年1月8日に遷化されました。

その際、師は「我が墓前にて『南無一願大和尚(なむいちがんだいわじょう)』と唱えれば、一生に一つだけ願いを叶える」との誓願を立てられました。
以来、今なお多くの方々が「一願絵馬」に願いを託し、参拝が絶えることはありません。